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人生の飢えと渇き

底なしの飢えと渇き

経験した事ありませんか?過去の僕は常に「何か」を求めていました。少しでも時間があると自分の中にある飢えを満たそうと「何か」を探し続ける毎日。「何か面白いこと無い?」こんなセリフを聞いた、又は言った事ありませんか?僕の周囲にはよく飛び交っていた言葉です。

何を探し求めているのだろうか?



ある人は言いました
目標が必要だと


社会に出た当時の目標は経営者になる事でした。努力の甲斐があって運良く24歳で独立し飲食店経営者になりましたが、一つの目標が達成すれば次の目標が必要になる等、考えてもいませんでした。そこに満たしは無かったのです。

まだ「何か」が足りない、満たされない飢えと渇き
ある人が言いました
結婚して家族を持って落ち着けば、満たされるよと


これも直ぐ実現しました。もちろん妥協は無く恋愛からの結婚でしたし、これといって特に不満もありませんでした。これで満たされる、満たされなければおかしいとさえ思いました。

しかし心はまだ、常に「何か」を求めて止まない。
結果、心を満たしたのものは、正体不明の苛立ち、不安、恐れでした


僕は祖母に育てられましたが、育った環境が劣悪だったと言う事はありません。むしろ一般的には恵まれている方、幸せな方ではないかと思うくらいです。しかしそんなことは関係ないと言わんばかりに、それは突然訪れました。

今まで自分を照らしていたのは人口の光、眩しい光の中を歩いていると思っていたのは確かに幻想でした。何者かがスイッチを切れば瞬く間に闇は訪れる。それは一瞬の出来事のようでした。


訪れた破滅と死の淵

死んでしまいたかった。酒浸りの日々、喧嘩、とても胸を張って言える経験ではありません。そんな毎日が続いてもう嫌になり全てがどうでも良くなっていたんです。

それから少し、不思議な経験をしたのですが、これはなかなか伝える事が難しいのであえて伏せます。

これらの経験は、何か特別なものでは無いと思います。むしろ多くの人が感じているのではないかとさえ思いますし、もちろんより過酷な人生を歩んでいる方も大勢おられると思います。ただ僕が恵まれていたのは素直に弱くなれた事、自分の無力さを痛感したその時に、素直に救いを求められた事、もちろん人ではなく神様にです。そしてイエス様に出会った事、経験したことのない平安、喜び、幸福、あんなに泣いたことはありません。あんなに満たされたことはありません。あんなに感謝したことはありません。全てが言葉に表せない程素晴らしく、それは時が経った今もまだ続いている。


満たされている人生、それは全てが新しい人生

そんなに良い話があるわけない、何か裏があるはずだと思うかもしれません。確かに人間の世は、その様なものなのかもしれませんが、神の愛は違います。求めるなら、与えられるのです。自分が今まで求めてやまなかった「何か」がまさか神の愛だったとは過去には思いもしなかった事なのです。

神の愛、御子イエス・キリスト

マタイの福音書7章7節
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。